続、人生の転換地点
6月に「人生の転換地点」と言うタイトルにして日記書いたら、1晩で1000ヒットしてて、びっくり。
3月にカウンター設定してから合計の半分近くがその日でいっちゃった。(@_@;)
で、しばらく柳の下のどじょうを狙って、このシリーズ続けてみよかなwww
つぅわけで、『続、人生の転換地点』
かなり過去の話しですが、始めますぃ。
ずっと、気になるあの人…がいました。
女性です(笑)
彼女とは中学と高校が同じ学校でした。でも1度も同じクラスになったことはありません。
通っていた中学は1クラス45人で10クラスまであり、高校も同じくらいの規模だったと思います。
なので、クラスや部活で関わらないと、全然知らない同級生が100人ぐらいいてもおかしくない状態でした。
中3の時のクラスメイトが彼女と友達でした。
その子に「桃太と同じくらい漫画好きの子がいるよ」っと紹介され、
それ以来、萩尾望都や竹宮恵子などの作品の話しを、休み時間に廊下でしたりしました。
当時、私が大好きだったその2人の漫画家さんは、私の周りの同級生にはあまり人気のない漫画家さんだったのです。
高校2年のとき、彼女は漫画研究会を作り、私は誘われました。
ほとんど幽霊部員でした。
高校時代は漫研以外に、少林寺拳法、落語研究会、など
部員が少ないから入ってくれと頼まれ、押しに弱いわたしは、
ふらふらと入り、最初だけ顔を出し、名前を貸していました。
(でも文化祭でじゅげむやったぞ!少林寺は茶帯とったぞ!)
そして、高校を卒業、私は短大の経済学部へ(就職を視野に入れた現実的な選択)。
彼女はアニメの専門学校へ。
彼女はアニメ専門学校へ行くも、学ぶことがもうないとわかり、退学してアニメ会社に就職。
と思ったら、すぐその会社を辞めて、実家の本屋さんの手伝いをしながら漫画を描き投稿。(彼女20歳の時)
その初めての投稿作品が見事入賞
さらに掲載→シリーズ化決定→連載→単行本化
とんとんびょうしに少女漫画家への道を歩き始めました。
その後、高校時代の漫研の友人たちが会社をやめ、連載を開始した彼女のもとへ次々と専属アシスタントになっていきました。
すごいなぁ~っと思いながら見ていました。
友人から漫画家がうまれ、ほんとに誇らしかった。
私は当時、某大手鉄鋼会社でOLをしていました。(ほんとに現実的な選択をしていたのです)
その頃には、彼女とは年賀状だけのお付き合いになっていました。
ある日、駅前の本屋で、彼女の描いている雑誌の増刊号が出ていて、そこに彼女のP・Nがありました。
その雑誌に掲載されていた作品。
それは、忘れもしない、高校時代に彼女が大学ノートに描いていたものでした。複数主人公たちが活躍する超能力SFもの。
「いつかこれをアニメにするの」と彼女。
「がんばれ!絶対手伝いに行くから」と漫研の仲間。
「わたしは絵かけないから、経理手伝うよ(←これは私)」
あぁ、ほんとに着々と夢を叶えているんだ…。
その雑誌を手に取ったその日、私はバスで家へ帰ることができず、駅から2kほどの自宅までの道のりを、さらに遠回りしながら歩いて帰りました。
じっとしていられなかったのです。
自分が取り残された切ない気持ちを抱えて、夜空を見上げて…ひたすら歩いていました。
漫画家になりたかったけど、なれなかった自分。
才能が必要なものだから、特別な人たちの特別な職業だから…と努力をしなかった自分を噛み締めていました。
あの夜の自分は、今も常に心の片隅に留まっています。
その数年後、私は会社を退職。
デザインの専門学校で1年間学び、デザイン会社へ就職。
その頃、彼女は大ヒット作を描き、OVA化を実現。
もう当時は年賀状のやりとりもなくなっていました。
そして33歳の終わり頃、私は、ようやっと書きたいんだから書こうと思い始め、シナリオスクールへ行き、
35歳の終わり頃、賞をとって漫画原作者としてデビューしました。
デビューしてから半年ほどたって彼女に電話をしました。
彼女はすごく懐かしがってくれて
「なぜか、あんたのことだけは『どうしているだろう』って、ずっと気になっていた」と言われました。
私がずっと、心のどこかで彼女のことを意識していたからかもしれません。
そのことを正直に告げました。
「常にどこかであなたのことを意識して、そして目標にしていたよ」と。
彼女は「すごく嬉しい」と言ってくれました。
今も時々、メールのやりとりをしたりして、お付き合いは続いています。
忘れた頃に、ふいに彼女からの電話があったりもします。
家に遊びに行ったりとかも(土地付き戸建て、自分で建てちゃってました。すごいです)
高校時代の漫研の友人が2人、今も彼女を支えて連載の仕事をしています。
以前、久しぶりに会った時、書かなくなった私を心配していました。
「書かないでいると、書けなくなっちゃうよ」と。
また書き始めたよ。って、そろそろ連絡をいれようかなっと思っています。
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彼女のP・Nは 、まだ書けません。
同じくらい有名には、もうなれそうにはないけど、もう少し、ライターの仕事が軌道に乗らないと、書けませんなぁ(≧∇≦)
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コメント
私も今の仕事に着くまで、OLやバイトだけでも
10種類位経験して来ました。
今もあまりバリバリ頑張るタイプではないけど、
好きな事を仕事に出来るだけでも
ありがたいと思ってます。
桃太さんも社会と関わり人と関わり
これから書くシナリオも創造だけではなく経験値が加わり、
桃太さんらしい世界が出来るんだと思います。
人生のプログラムは人それぞれですよね
才能も熟成して醗酵を待つ事だって
あるんじゃないかな?
自分にとっての成功って
何だと思います?
桃太さん、まだまだこれからですよ♪
楽しみにしてますから頑張って下さいね☆
投稿: kumikumi | 2007/07/31 19:30
ガンガレ
別に彼女ではないのだから
桃太さんは桃太さんの世界を築くのだよ
(*゚▽゚*)
投稿: こへーた | 2007/08/01 07:07
kumikumiさん
OLやっていたんですか!?
初耳です。
実は、昔、深夜の電話で、このお話をkumikumiさんにしています。(^^ゞ
書きながら当時のことを思い出していました。
あれから干支一回り…。
やっと土台みたいなのができつつあるのかなぁ(゜-゜)
(遅すぎ^_^;)
でもさらに、今年から3年ぐらい時間をかけて、もちっとしっかり土台作りをしていこうと思います。
> 自分にとっての成功
一晩考えてみました。
出てきた答えは…〝幸福になること〟
でした。
でも今、先日のコメントにもささやかな幸せを感じていることを書いたのだから、
欲張って、もちっと幸せになることを積み重ねて、生きていこうと思います。(^_^)v
見守っていてくださぁ~い
投稿: 桃太 | 2007/08/01 08:57
こへーたしゃん。
うん。
いつもありがとうね。
私の世界にはこへーたしゃんがいます。(^_^)v
これも幸福を感じるひとつ。
なので、わっちは、わっちの幸せを感じつつ、ちこっとづつ欲張って、より幸せを感じられる桃太世界を築いていこうと思います。
にゃはははっはははは。
投稿: 桃太 | 2007/08/01 09:01
いつかはやりましょうぜ!v(^o^)
萩尾望都さん好きだったんですね。
私が漫画の世界に入ったのは萩尾プロ出身の
漫画家さんの紹介からでした。
投稿: あれっくす | 2007/08/01 22:39
前にあまりの興奮に旦那にこのお話をしてあげたのですが、やっぱり男。「ふ〜ん、そんな漫画家いるんだ」「・・・・え〜?!」がっかし。
でも、桃太さんだってがんばってるじゃないですか!!人それぞれの一生懸命があって、人それぞれの幸せがあると思うんです。
話題の漫画家さんだって、たくさん苦労してこその今の地位でしょう。
みんなが一生懸命生きて初めて成立するこの世の中です。楽しく生きていきましょう!!
投稿: ちょしし | 2007/08/01 23:12
☆あれっくすさん
> いつかはやりましょうぜ!v(^o^)
もちろんです。
40代だからこそ、逆にやりたいことがあれば、やっちゃったほうがいいような気がしてきましたwww
気力・体力残っているうちに頑張らねば(≧∇≦)
> 萩尾プロ出身の漫画家さんの紹介
今度そのお話し、聞かせてくださぁ~い。
(目キラリン)
投稿: 桃太 | 2007/08/02 08:50
☆ちょししさん
えっ!? 前、興奮してくださったんですか!?
> 人それぞれの一生懸命、人それぞれの幸せ
そうなんです。
わっちの場合は、まず家庭が土台かな。(^ω^ )
仕事は、できたら、それで自分ひとり分が食っていけるくらいの収入がとれれば…
↑家族分は考えていないwww。
それで生涯現役で好きを仕事に出来たら、ほんとに幸せだなぁ。
&友達に恵まれて…
なので、ちょししさん。
これからも末永くよろしくです。(ペコリ)
投稿: 桃太 | 2007/08/02 08:51